新宿駅地下の様子
#カルチャー #ヒストリー

新宿駅に"地底人"!?

60'sヒッピー族とフーテン族と新宿の地下

writer:Sou Ikeda

いま、新宿駅西口が変わろうとしている

2024年8月上旬、新宿駅西口地上歩行開放すべく、大規模工事が開始された。
新宿駅の西口といえば、洞を巻いた車道が地下から地上へ延びる構造が印象的だが、これを歩行者が回遊できる広場にする計画だ。長く我々が慣れ親しんだ、薄暗く
も空を仰むことのできるあの西口とはこれでおさらばらしい。
しかし、かつてこの薄暗い西口の地下に"地底人"がいたことはあまり知られていない。
なんと新宿に地底人がいたのだ。
西口とのお別れを前に、MAYUでは、60年代にここを住みかとし、西口という文化を形作った人々、「新宿地底人」について特集することとしたい。
2024年秋の新宿駅西口

2024年秋の新宿駅西口

新宿地底人とは

60年代、日本も戦後の物質的な貧しさを克服し、高度経済成長や東京オリンピックに向けた好景気の流れに乗る中、この気風に物申す若者が現れた。
今回の主役、ヒッピー族とフーテン族である。
彼らは物質主義的でかれ調子の日本の体制をドロップアウトし、労働に異議を提起し、ともに新宿駅の地下街でたむろする種族であった。

2種類の地底人

彼らはよく混同されるが、実は似て非なる種族同士なのだ。ヒッピー族は「愛と平和」を信条とし、アメリカによるベトナム戦争を非難し、人類愛を唱えた。それに対し、フーテン族は単に社会からドロップアウトし、文学やジャズを好み、政治的な発言は一切行わず、一人の人間同士の向き合い方を実践した。
彼らの違いを、彼らのモットーや趣味、暮らしぶりの観点からまとめると以下のようになる。
ヒッピー族とフーテン族の比較表
さらに、当時実際に地底人であった、または交流のあった人の言葉を紹介する。

<ヒッピーの"部族宣言">

部族宣言――ぼくらは宣言しよう。この国家社会という殻の内にぼくらは、いま一つの、国家とは全く異なった相を支えとした社会を形作りつつある、と。統治する、或いは統治されるいかなる個人も機関もない、いや「統治」という言葉すら何の用もなさない社会、土からも生まれ、土の上に何を建てるわけでもなく、ただ土の共に在り、土に帰ってゆく社会、魂の呼吸そのものである愛と自由と知恵による一人一人の結びつきが支えている社会を、ぼくらは部族社会と呼ぶ。

アメリカ、ヨーロッ、日本、その他の国々の若い世代の参加によって、何百万人という若い世代の参加によって、静かにあくまでも静かしし実に多の族会が作れつつあ。都会に或いは山の中に農村に海辺に島に。やがて、少なくともここ数年内に、全世界にわたる部族社会も結成され、ぼくらは国家の消え去るべき運命を見守るだろう。ぼくらは今一つの道、人類が死に至るべき道ではなく、生き残るべき道を作りつつあるのだ。(後略)

参照『ヒッピームーブメント史 in ヤポネシア』
link: https://smarakuni.net/pon/hipple/

戦勝国であるアメリカや、アメリカの傘下の日本どんどん"強く"なろうとする中で、人間の魂は、無政府の原始的な生活の中でこそ生き生きとするという考えが根底にあるようだ。
誰も統治したり統治されたりしない社会を望み、自然と共存する道を模索する彼らの考えが縮された宣言といえる。キーワードは「部族」、「魂」、「全世界」と
いったところだろうか。

フーテン族と大企業社長の会話

――社長

これから何が始まるのかね わしゃそくそくしてきたぞ

――フーテン

これから何かって あんたにクスリのんだでしょう・・・・・・?

――社長

おう ハイミナールかね 三つぶ・・・・・・

――フーテン

クスリのんだらそれでいいじゃない

――社長

ただこれだけなのかね まさか・・・・・!!

――フーテン

社長さん・・・・・まさかって あなたはなにを期待してきたんです?

――社長

期待ってわけじゃないかね こう・・・・・なにかおもしろくなるんだろうね・・・これから

――フーテン

そう そんな期待させしてなけりゃおもしろくなりますよ・・・・・クスリがきいてきますからね

(略)

――フーテン

ごらんなさい・・・・・ここに集まっている連中を・・・・

あなたは自分とおなじ人間だと思いますか・・・・・・?

――社長

ちがうでしょ

――フーテン

ところがほらクスリがきいてきた 皆がしびれてきたでしょう?

笑ってごらんなさいって

若い者よ ここに集まってくる連中は何歳でもない 社長だとか学生だとか・・・・・

そんなことも関係がない ただ人間人間なんだ

さあ!!

本当の人間の対話がはじまるんだ!!

『フーテン』著:永島慎二 初版-1972/05

彼らもまた、人間の本質のようなものを模索していることが見て取れる。
しかし、ヒッピー族との違いで言えば、統治とか世界という言葉は出てこず、あくまで一個の人間同士の関係性を求めていたようだ。「ただの人間」「若さ」「本当の人間の対話」などが彼らの探していたものなのかもしれない。
このように、同じ新宿の地底人でもその在り方は違っていた。
当事者の言葉を見てみると、ヒッピーは人間全体から見たマクロな視点に立って、政治や宗教の次元で物事を考えていたのに対し、フーテン族は日本の都市圏に居合わせた隣人とのミクロな視点で、「ただの人間」に戻るための方法を考えていたことが見えてきた。
ではなぜ考えを異にする彼等が新宿駅でたむろし、アングラ文化を形作っていったのだろう。それは当時の若者にとっての都会とは渋谷や原宿ではなく、銀座と新宿であったことに由来する。
日本の戦後文化史をファッションの観点から考察した名著『AMETORA——日本がアメリカンスタイルを救った物語』(デーヴィッド・マークス著、2017年9月13日)には以下のようにある。

「新宿は夜の盛り場として、長年、銀座のライバル的存在だった。
しかし西ヨーロッパ風の銀座が明るく照らされていたのに対し、かすかにロシアの匂いを感じさせる新宿は、影の中にんでいた。」

『AMETORA――日本がアメリカンスタイルを救った物語』
著-デーヴィッド・マークス2017/09/13 発行-DU BOOKS

60年代、建設的でプログレッシブな若者が集う銀座とは裏腹に、退廃的で反骨精神の渦巻く新宿があった。
互いに考え方が違っていても、ともに当時の日本に見切りをつけ、自分らの考えるコミュニティを実践する舞台として新宿駅地下は愛されたのだ。

地底人のドレスコード

そして、同著によると彼らにはもう一つ共通点があった。アメリカから輸入され始めたばかりの「ブルージーンズ」だ。
現在我々が当たり前のように履く青色のジーンズは、輸入され始めた当初、若者の社会に対する反骨のトレードマークとして機能していたようだ。だから反骨日本代表である地底人のドレスコードはいずれもブルージーンズ。異種族でありながら、長いものに巻かれてたまるかという気概を一にする彼らは、自由意志により同じ格好をしたのだ。彼らを映したカラー写真がないことが惜しまれる。タイムスリップが可能なら60年代新宿地下は群青色に占拠されていたことが確認できるはずだ。
我々の令和とはかなり異質なものばかりだろう。自らの考えに基づき、ライフスタイルや将来の展望、音楽やファッションを集団で共有し、特定のエリアで村を形成する。同じ若者でも、時代によって情熱の現し方は随分違う。デモやSNSでの発言を通じて考えを提起するのではなく、自分の生活の在り様そのものからそれを表現する人々が、こんなに身近にいたとは驚きではないか。

新宿駅西口をみつめよう

しかし70年代には、薬物の危険性によやく気付いた警察の徹底的な浄化活動により、地底人はほみを追われることとなる。ヒッピー族は長野県の山間部や奄美大島
などの田舎のコミューンへと帰り、フーテン族は霧散した。その先の物語は、当事者の声以外、今となっては闇の中だ。
清潔なイメージを持たれる現在の日本は、こうした浄化活動の連続によるものなのかもしれない。
新宿駅西口は、この度さらにキレイになる予定である。どんどんキレイになってゆく。キレイなのはだれにとってもいいことだろう。ただ、新築されたものの前に何があったか思い出すことは、けっこう難しい。大部分の人にとって身近でありながら他人事(ひとごと)な汚い新宿駅西口についても、思い出せなくなる前に心にとめるなら、すこしは晴れやかではないか。
ここに地底人と、彼らの愛した新宿地下(アンダーグラウンド)のログを残しておこう。

地底人の愛した新宿アンダーグラウンド

東口で撮影された地底人たち
丸ノ内線新宿駅とメトロプロムナード
丸ノ内線新宿駅とメトロプロムナード
地下鉄丸ノ内線 地下街
西口地下広場
新宿西口反戦フォーク集会
駅ビル地下の若者たち
新宿駅東口 グリーンハウスと呼ばれるフーテン族の聖地
駅東口広場でのフーテン対策
深夜喫茶の若者たち
地下広場に残された落書き
80's「新宿を明るくきれいにする運動」の様子
80's「新宿を明るくきれいにする運動」オーニングパレード

新宿歴史博物館所蔵

地底人と関連のある現在の新宿

西口の螺旋車道の裏側
西口地下の連絡通路の出口
西口地下の連絡通路
駅東口広場でのフーテン対策
東口広場に出る階段
東口広場からルミネへ
フーテン族の聖地「グリーンハウス」跡
新しくなった旧「グリーンハウス」
2024新宿駅西口の大工事

Photo: Sou Ikeda

フーテン(漫画)の表紙

フーテン(漫画)

出版社
グループ・ゼロ
著者
永島慎二
初版発行
1972/05
出版社HP
AMETORA 日本がアメリカンスタイルを救った話

AMETORA

日本がアメリカンスタイルを救った話
出版社
DU BOOKS
著者
デーヴィッド・マークス
訳者
奥田佑士
発行年
2017/09/13
出版社HP
新宿歴史博物館の外観

新宿歴史博物館

所在地
〒160-0008
東京都新宿区四谷三栄町12-16
営業時間
9:30~17:30
定休日
第2・4月曜日
(祝休日の場合は翌平日)
ホームページ
電話/mail
03-3359-2131