新大久保の街並み
#ヒストリー #トリビア

はじまりのコリアンタウン

アンニョンハセヨ!! はじめてのしんおおくぼ

writer:Shin Gen Shun

知られざる新大久保の原点「始まりの地点」3選

新大久保エリアは、K-POPタウンとして多くの人々に親しまれている。しかし、その成り立ちについてはあまり知られていないのが現状だろう。
この地域がどのようにして現在の姿になったのか、3つのスポットを通してご紹介。

1. ハウジングステージ新宿(旧ロッテ新宿チューインガム工場)

1950年3月、在日韓国人の辛格浩(日本名:重光武雄)氏が自身により「ロッテ」を創立し、新宿チューインガム工場を完成させた。この工場の設立により、大量の工員が必要となった。多くの在日韓国人が工として働き、すぐそばに居住地が形成されることとなる。何代も続く韓国人家系が新大久保エリアに密集している理由の一つが、このチューインガム工場設立だったのだろう。現在は大規模な住宅展示場となっており、その面影はない。

ハウジングステージ新宿

所在地
〒169-0073
東京都新宿区百人町2丁目2-32
地図情報

2. 新宿区立百人町作業宿泊所

1950年代、先ほど紹介したロッテ工場の近隣には在日韓国人が多く集まっていた。当時、朝鮮人浮浪者と呼ばれた人々が保健所裏の道路敷にバラックを建てて居住
し、1953年には約30戸、翌年には倍にまで増加したのだ。不法占拠として立ち退き要求が続く中、昭和39年に新宿簡易裁判所で収去命令が決定され、和解に応じた
世帯の住宅施設として、1965年から作業宿泊所が発足。この施設は50年以上経過した現在も存在し、当時の住民やその子孫が新大久保コリアンタウンの気を支えているのである。

新宿区立百人町作業宿泊所

所在地
〒169-0072
東京都新宿区大久保1丁目
地図情報

3. 西大久保公園周辺

済州島出身の人々が、朝鮮戦争前後に職安通りや西大久保公園周辺に「パンパン宿」と呼ばれる施設を米兵相手向けの売春施設を建てた。当時戦勝国である米の兵隊た
ちは羽振りがよく、新大久保に居住する人々が財を築くのに一役買ったようだ。
彼らがこの地域の地主や家主となり、コリアンタウンの基盤を築いたのだ。
西大久保公園周辺の写真

HAL東京から見たパンパン宿迹。墓地の奥のビル群が西大久保公園のあるエリア

西大久保公園

所在地
〒169-0072
東京都新宿区大久保1丁目
地図情報

コリアンタウンの起源を巡って

これらの歴史的背景を知ることで、新大久保のK-POPタウンとしての姿をよりく理解できるかもしれない。現在、新大久保には韓国文化を体験できるスポットが多数存在するが、今回紹介したような新大久保の起源にまつわるスポットを巡ってみると、また違ったコリアンタウンの姿が見えてくるのではないだろうか。